工坊

日常の想いや出会いをフランクに綴ります。〜from 2005.1.10〜

 週一での講義が終了。講師の鈴木氏を囲み昼食会に出席。ライフワーク発見法として、自分より先輩諸氏の顔ぶれ多し。会社をハッピーリタイヤされた方々でも自分の生きかたを自ら問う姿勢は真剣そのもの。講義が終わってからもクラス会を定期的に開くとのこと。このように別の世界を歩いてきた方々との交流も貴重なものだと思う。
◆講師の鈴木氏の紹介コーナー◆
 
 

W 『♪しとしとピッチャン。しとピッチャン。♪いよいよ、自分との対話時間がじっくりと持てそうですね。ご主人様!!』
O   『受けて立ってやろうじゃないか!お前ごときに、負けてたまるか!』
W 『やけに、元気いいじゃない? 俺との付き合い方を、少し覚えてきたかなぁ?』
O 『そうでもないが、お前のいいところもあるだろうと思うように努力しているのさ。』
W 『何々、俺のいい所を探しているのかぁ。沢山ありすぎて言い切れないだろ?!』
O 『図に乗るな!! お前と付き合って、道端の花や季節の移ろいは肌で感じたね。また、自分を取り巻く人々の大切さは改めて感じたね。』
W 『そうだろう。俺のありがたさは、マダマダ出てくるはずだ。次回までの宿題にするから。よく整理しておくように。』
O 『主従逆転は許さんぞ!生意気な!!。。。。。 』
 

 子供から孫へ。孫から曾孫へと、命のバトンが手渡されていきます。今ある自分は、親と子と孫との中間地点の家内との二人三脚走者。お互い自分自身が自由になって走りたいのは、やまやまなれど、顔を上げるとまだ、先が遠くあることを思わずにはいられません。そして、途中で止めることも許されない思いもします。昨日は、久しぶりの母親との付き合い。久しぶりの母親の故郷へ。叔父の関係の法事の付き合い。母親は生まれも育ちも家族で唯一の神奈川県人。今、昔の姿は、神社とお寺にとどめるのみ。時折、近所の店に居るはずの無い顔見知りを人を探すような母親の仕草が妙に悲しかった。時は残酷でもあり、また優しくもありか?

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