工坊

日常の想いや出会いをフランクに綴ります。〜from 2005.1.10〜

 滑りやすいカエルの背中の上でも、私を取り巻く四駆の人達の支えられて、何とかやってまいりました。これから先が見通せないような節目に差し掛かっております。いずれは、パクっとカエルのおなかに戻るのでしょうが、もうちょっと進んだ鼻先に出れば、より視界が開けるかもしれません。
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 学生時代、同じクラブで活動した友人が遥々とアメリカから来訪しました。学生時代の4年間はよき青春時代の真ん中。お互い色々とありましたが、何とかやってきました。今度は、自分が彼の住処によりたいと思っています。
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   やっとここまでできました。頭部の基本動作確認フェーズです。私にとって、サーボモーターとは、このようなことができるものと初めて知りました。これから右腕の部分に取り掛かります。
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 ひょんなことからポテトチップスの元祖のことを知りました。日系ハワイ人の方が国内に紹介して、その製法をオープンにしたことからカルビーや湖池屋が現在は主役メーカーとなっているようです。私たち家族がこの地に移り住んだ頃、畑の真ん中に小さなポテトチップスの工場がありました。毎日ポテトチップを揚げる臭いを嗅ぎながら勤めに出向いたものでした。ネットで見つけた昔の国土地理院の航空写真を見て改めてその存在を懐かしく思っています。
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>>次の記事はネット上から拝借した一部です。>>

ポテチの元祖「フラ印」のポテトチップを知っていますか?

ところで、このポテトチップスとはいつ頃からこのように多くの人に食べられるようになったのでしょう?
その歴史と日本に紹介された歴史も調べてみたいと思います。
ポテトチップスの生まれたエピソードは1867年説と1853年説とがありますが1853年ですとペリーが浦賀に
来航した頃の話なんです。
いずれの年にしても生まれた場所ははっきりしています。
それはニューヨーク州の避暑地サラトガと言う所の「サラトガ・スプリングスホテル」というホテルでの
出来事だったそうです。
その夜アメリカ屈指の大富豪がホテルで食事をしている時フライドポテトが厚すぎるとクレームを言い
何度も作り直しをさせたと言う事です。
そのクレームに対していらだったのでしょうかシェフのジョージ・クライムは逆手にとって「超薄いフライドポテト」を
作って出したそうです。
これが思った以上においしくその味はホテル中でその日のうちに評判となり、その年の夏にはサラトガ中
で大人気になったそうです。
それまでサラトガチップスと呼ばれハイソサエティの人たちに浸しまれていましたが1925年、ニューヨーク州
オールバニに大工場が建設されてから、やっとポテトチップスは一般に広まったと言われています。
なんとその間の長い事・・・ひそかに楽しまれた逸品と言ったところでしょうか。

 そして日本にこのポテトチップスが伝えられたのが20年以上たった戦後の1947年の事でした。
日系二世でハワイでポテトチップスの製造に従事していた浜田音四郎という人物が日本に移住、
アメリカン・ポテトチップスと言う工場を作り生産を始めました。
当初は日本人にはなかなかなじまなかったポテトチップスを米軍(占領軍)相手に販売好評を博したそうです。
その後販路を拡大していくのですが、この浜田音四郎というひとはえらい人でポテトチップスの製造に
関する特許類を一切申請せず広く製造法などを広めて行ったそうです。
そのお陰で様々な日本のメーカーが参入して切磋琢磨の結果大人から子供まで愛されつ国民食に
なったと言う事です。
 その浜田音四郎の作ったポテトチップスは「フラ印」のポテトチップスと言って素材や製法へのこだわりを
持ち続けて今でも高級スーパーや通販などごく一部で流通しています。

カルビーも湖池屋も今あるのは浜田音四郎さんのお陰と言う事ですね。

1950年ごろの近隣写真ポテトチップス工場

 ドリフト走行を楽しんできましたRoute66を後にして、Route67の入り口付近を走行中。Route67は節目の上り坂が続く未舗装な道、今のゴルフより以前乗っていたチェロキーが恋しくなりました。今日また使い古しの本を眺めているところです。
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働く人のキャリアデザイン

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